視察期間
令和 6年 8 月 5 日、6 日、7 日
視察先
藤沢市が実施している平和学習広島派遣プログラムに帯同
5日/平和記念公園→被爆体験講話
6日/平和記念式典参列→被爆体験伝承者の講話
7日/被爆電車解説&乗車体験
3.視察議員 石井世悟 柳田あゆ 森井健太郎 西川誠志 吉松巳希
4.特記事項
広島平和記念公園について
湘南維新の会の我々二人は広島出身ですが、久しぶりに8月6日の平和記念式典あたりの日程で平和記念公園に来たので、ものすごい人の数に圧倒されました。この日は子どもたちがセレモニーをしました。藤沢で平和についての想いを膨らませて、考えてきてくれたメッセージをしっかりとお話してくれました。その後、折ってきた千羽鶴を猪野課長補佐に捧げていただき、この地を後にして、子どもたちは平和記念資料館へと移動しました。
私たちは平和記念資料館には昨年訪問させていただいたので、今まで入ったことがない国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の見学をさせていただきました。
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館では「暁部隊 劫火ヘ向カヘリ -特攻少年兵たちのヒロシマ-」という企画展があり、いまだ知らなかった広島の事実を学ぶことができました。
1943年、特別幹部候補生の募集によって、満15歳以上20歳未満の子どもたちが全国各地から志願しました。曉部隊と呼ばれた「陸軍船舶司令部」が広島の宇品港に置かれており、子どもたちは江田島にある特攻兵を育成する秘密部隊に入隊しました。特攻の際に彼らが乗るのが「四式連絡艇」というもので長さ5.6m幅1.8mの一人乗りのベニヤ製の小型艇で250㎏の爆雷を載せ、夜陰に乗じて敵艦に近づき直前で爆雷を投下し、沈没させようという作戦でした。神風特攻隊は新聞などに報じられていましたが、小型艇での特攻は極秘事項としていたそうです。
特攻に行くと思っていた矢先に、広島で原子爆弾が爆発し、広島の被災地に向けて出動した曉部隊の兵士は約4000人で、道路上の瓦礫の撤去や被災者の救護にあったたそうです。
最初は恐怖があったそうですが、少年兵は凄惨な広島の状況下で遺体を運んで焼くという作業を続けていくうちに、恐怖を通り越して無感覚になっていったとのことでした。このようなこどもたちの存在があったおかげで、被災からの復興も早くなったのだろうなと思いました。この企画展の中で作業に従事していただいた兵士の方のお話を聞くことができて、非常に有意義だったと感じました。この国立広島原爆死没者追悼平和祈念館には被爆体験記や証言映像が残されているので、いろんな方に見に行っていただければと思います。また、証言映像を残していくアーカイブ事業が動き始めていると思います。やはり戦争を体感したご本人からのお話は非常に価値があるものなので、その映像の残し方や広報周知をしていく方法もしっかりと検討して有効活用していっていただきたいと感じました。



被爆体験講話について
今回は梶矢文昭さんという被爆体験者の方からお話を聞きました。梶矢さんは当時建物疎開を実施していた中学校1年生だったそうです。広島駅近辺で被爆した8月6日の生々しい様子をお話していただきました。やはり、直接体験した方のお話はこどもたちにも響いているようで、固唾をのんで話に聞き入っていました。最後に原民喜さんの原爆被災時のノートの中のメッセージを紹介されており、非常に印象に残りました。「コハ今後生キノビテ コノ有様ヲツタヘヨト天ノ命ナランカ。」この一文の意味としては「この有様を伝えよ」という天命としか考えられなかった。とのことです。今回一緒に広島に行った子どもたちも私たちもこのようなお話を聞くことができたからこそ、天命として後世に伝えていくことがミッションの一つなのかもしれないと感じました。
平和記念式典参列について
18年間広島に住んできて、今まで一回も平和記念式典に参列する機会がなかったのですが、このような貴重な体験をさせていただいたことに最初に感謝申し上げます。これだけの国の方々が平和、そして原子爆弾というものに対して、様々な気持ちをもって集まっていただけているということに対して感無量でした。それを子どもたちも感じ取っていただけると嬉しいなとかんじました。
被爆体験伝承者の講話
Peace Porter Project 代表 であり、広島市伝承者養成事業 1期生でもある保田麻友さんのお話を聞きました。
被爆伝承者とはなにかということ。どういう制度であるかということを教えていただきました。また、Peace Porter Projectの中で被爆体験を聴く機会があるので、そのためにも聞く姿勢づくりのワークショップやその中で、なぜ聞きたいかを伝えることから始めていくことや1対1や自ら来ていくことなど、大事なことを学ぶことができました。
戦争体験者は日に日にすくなくなります。藤沢にも伝承者を養成していくことが今後大事になってくるとおもいます。この制度の情報を活かしていけたらと思っています。


被爆電車解説について
原爆被害からの復旧に関するお話等をしていただきました。
原爆によって123両の電車のうち108両が被災し、そのうちの40両以上が全壊・全焼ないし大破しました。原爆により全線運行不能となった広島電鉄市内電車ですが、生き残った社員たちはすぐに復旧作業を始め、車両や線路、電柱や電線、橋などの状況を確認して歩き、倒れた電柱をトラックとロープで引っ張り起こし、切れた電線を繋いで引っ張るなど懸命の作業を続けました。被爆3日後の8月9日には、爆心地から15km離れた廿日市変電所からの電力を使って、己斐(現・広電西広島)から西天満町(現・天満町)という短い区間ながら、市内電車の運行を再開しました。この電車の復旧スピードがとても広島の復興を助けたのではないかと思います。
被爆から1か月余りのちの9月17日、日本を襲った枕崎台風は、広島県下に2,012名の死者を出すなど大きな爪痕を残し、広島電鉄も天満橋と横川橋が流失するという被害を受け、果たして復興再建できるのかという声が聞かれたほどでした。
この枕崎台風が襲ったことも今まで知らず、災害が重なった非常に重たいエピソードだなと感じました。
この平和学習広島派遣プログラムで子どもたちが非常に前向きに話を聞き、取り組んでいたことが印象的でした。やはり、この事業は子どもたちの未来に対してとても有意義な事業だと感じています。毎年毎年アップグレードしていくのは大変だと思いますが、ブラッシュアップしていき、子どもたちの学びに役立てていただければと思います。